http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/003431.html

それがどんなに先鋭的な専門分野であれ、口には出さずとも同等以上にわかってる奴はつねに100人はいる。それを論文にまとめたりブログに書いたりできるやつが10人ぐらいいて、本気でそれの実現に自分の人生を賭けるやつは1人しかいないっていうだけのことさ。

これをわかってるかどうかで、ほんと自分の位置がどこにあるのかと言うのがよくわかるよね。
この100人→10人と言うのは越えられる壁としても、10人→1人というのはほぼ越えられない壁。
同じものに対してだけど全くの不連続。
ここには、"なにか"がいるんだよねえ。
師匠は「呼ばれてる」なんていうけど、そういうのが。

この話を受けて坂口さんがつづくんだけど、その中の
http://tsaka.exblog.jp/4093901

私たちが身近に見てる写真家だったり、作品だったりについては、「圧倒的なオリジナリティー」を見せることが目的ではなく、「他者と共有された共感覚」が重要。
(ここの方向性や幅を見誤ると、文化祭チックな困った作品になったりする)

これ、なんか2Bでやったことや、今の自分と同じ根っこがある気がする。