野口里佳 「マラブ・太陽」 ギャラリー小柳

http://www.gallerykoyanagi.com/exhibition.html

(permalinkなし, October 27 - November 30, 2007)

先々週行ったら祝日で開いてなかったので、はらいせにその日はMacbookを買いますた(・∀・)
ろくろくさんにいわれたので、久しぶりに感想なんかを書いてみたり。コメントにも書いたけど最近お仕事モードで写真を無理矢理見に行ったという感じなので、最初はなーんも感じるものがなくて自分にがっかりしたのでした^^; まあそれでもなんどか見ながら自問しているうちにいろいろと楽しんでこれました。


展示されていたのは「white paper」「太陽」「マラブ」の3作品。


「white paper」はスキー場で滑っている写真を膝の高さにひろげてある。今回これだけは別室でかつ、ピンホールじゃなかった。

「太陽」は水戸のやつから1枚だけ(なのかな? 水戸を見られなかったのでどうだったのか不明)。プリントの実物を見たのは初めて。太陽そのものを撮ったようだけど、うっすらと写る木のドアや机をみるとなんだか大学の研究室っぽい雰囲気。野口里佳のドイツの職場だったりしてね。研究室の窓から指す西日をそのままフィルムに定着し、ピンホール特有のレインボーなゴーストなんかが雰囲気を出している、けどそれってピンホール使う人ならだれでもわかってることだよね? これをここに出す理由が何かあるはずなんだろうけど、それはよくわからなかった。「マラブ」への導入なのかしら?

「マラブ」は最初見たときはピンホールで撮ったくらいしかわからなかったのだけど、マラブがだんだんとすこーしづつ歩いている風に見えてきた。野口里佳ってカメラの力を信じてるんだなあ、ってかんじた。

太陽から続くピンホールカメラで撮る行為から見えるのは、フィルムに時間を焼き付けている感覚になにか引っかかることがあるのかなあ、ということ。マラブという鳥は動かない鳥で、ピンホールでとってもぶれない、というピンホールで撮影するのに適した鳥(笑)だそうな。ジブリの森のような人工の庭のような場所(おそらくは動物園?)にいるマラブがそこから消えて、道路に出て、最後には飛び立つという流れはおもしろかった。動物園で撮っているからか箱庭な感じがしたのだけど、このジェネレーションに共通する箱庭感覚の世界観って何に起因してるんでしょうね。そしてそれを飛び出していくラストの2枚は何か暗示しているのかしら?


そしてそのマラブの写真はどれも実は時間が定着されているのだ。それなりの時間が一枚一枚の写真には定着されているのに、ならべるとパラパラ漫画のように短縮されているという逆説はカメラという機械をとおした写真というメディア特有のおもしろさ。グルスキー達のような「カメラという目を信用しない」世代に対するアンチテーゼなんかも含んでるのかなあ、なんて想像してみたり。


そういえばムサビで特別授業をした際にもクラシックなカメラを集めている、というはなしがあったのも、それに関連しているのかも。こういうプリミティブなカメラってカラー写真に対するモノクローム写真のように、カメラの力というか能力というか特性が際だつし。そうするとどの写真も縦糸が通る気も、する。


なんだか最近のカラー写真はマットなんかしないで、裏打ちしたやつを四角いスポットで照らす展示が多いっすね。個人でやるのはライトがつらいっすな。ちなみにプリントは微粒面でした。やっぱり種子島でのロケットの発射をパノラマで撮った写真集がほしいなあ。あれ好き。