個人的な旅写真展総括

おそくなったけど、やる前、やっている間、終わってから考えたことを書いておこう。まとまっていないものも有るけど、これ以上おそくなると、また違う考えになりそうなので。

(以下、長文注意)

最初に誘われたときに迷った通り、会ったひとに「旅写真展でるんです」というと必ず「えっ?!」という顔をされたときには、僕の顔には苦笑いが浮かんでいた。僕の写真を知っているひとからすれば旅写真というジャンルは全く交わることがないジャンルであるのは確かにその通りだったからだ。今だからこそ言えるけど、旅嫌いだし。一人旅しないし。旅写真はそれほど見たいと思わないし。師匠にも「えっ、でるの?!」といわれたし(笑)


だからこそ出すときに決めたのは、だからこそ自分なりの旅写真に真剣に取り組もうということだった。
はじめて撮った写真を魅せたときのメンバーのひとの顔色はきっとわすれないだろう。でもそんななかでYさんが「他が旅写真らしい旅写真だからこういう方向性もあった方がいいんじゃない?」といってくれたのには救われた。正直受け入れてもらえない可能性も考えていたし、もしそうなら降りることも考えなくてはいけなかったからだ。まあそのへんは置いておいて写真の話。


八重山に行くと決めたときに師匠に相談したら、旅の写真の見所はパーソナルな視点だといわれた。ワークプリントを見せたときに「八重山の朝が良いね」とアドバイスをもらったのだけど、今回の写真は典型的な旅写真らしい写真は全部セレクトから落とした。非日常の空間との擦過はそれだけでドラマチックだ。ただドラマチックな風景や瞬間にどれほど意味があるのだろう。空間や時間は等価に美しい。決定的な瞬間を取ろうとする行為自体がすでに終わっている中で旅写真というくくり自体が意味をなさない、ように思える。


でも考えれば考えるほど浮かぶのは斉藤亮一さんの写真だ。自分の中ではいわゆる典型的な旅写真の頂点でありながらも、それでいて旅写真の枠を超える写真。いい写真にジャンルは関係ないのだとおもえる写真。
今思えば師匠にセレクトをみせたときにもらったアドバイスは正直初めは無視しようかと思っていた。その方が自分らしい写真だとおもえたからだ。でも、プリントが出来てからひと月くらいなんどもなんども眺めているうちに、そのまま受け入れることにした。受け入れられたのはこ斎藤さんの写真の影響もあったからかもしれない。自分としては少しセンチメンタルすぎるところがあったけれど、あの1枚があったからこそ、逆に自分の写真が旅写真の枠の中に入ったとも言えるともおもう。


ぼくには旅写真という言葉の境界はぼやけているようにおもえる。旅写真を撮るといつも向けられる根源的な問いがある。


「あなたの写真はその場に行けば誰でも撮れる写真ではないのか?」*1


これは旅写真に限らず、写真自体が内包している普遍的な問いである「あなたの撮った写真は私の撮った写真と何が違うのか?」という問いと本質的に同じモノだ。つまり旅写真とは自体がこの問いである写真形式だと言えるだろう。その問いに対して無自覚に旅写真を撮る写真家は非常に滑稽だが、その問いに対する答えを得た写真家は、旅写真という外からは枠をはめられながらも、その写真自体は旅写真を超えていく。


師匠が旅写真展を評して「個人的には中国が好きだけど」と前置きした上でこう答えてくれた。*2


「見ながらずっと考えていたんだよ。なぜ旅で写真を撮るのか。」

「カラーもモノクロも技術的には俺や山下とそれほど差はないだろう。それどころか、もうかなりMAXに近い。でもそこにはやはり違いがある。」

「でもまだ、それをわけるものが何なのかが俺の中でも答えがまだはっきりとはでていない。」

「たとえば旅写真の頂点とも言える斉藤亮一さんのあの包み込むような優しさがにじむような写真。どの写真も人間ってすてたもんじゃないな、いいなとおもえる。エモンでやった写真展はひとつひとつは単写真であったとしても、その一枚一枚から見る側はバックグラウンドにある情報を読み取れるから写真がつながる。それは斎藤さんが世界を回ってきて感じたことの蓄積があるからだとおもう。HARUKIの写真展もそうだったけど、一枚一枚はバラバラな写真だし、モノクロもカラーネガもデジタルも有るんだけど、その一枚一枚からHARUKIが見えるから、見ていて楽しかった。きっと今日は撮るぞと思っていった日も、今日は行くのめんどくさいなと思って撮った日もあったはずなんだよ。そしてそれはちゃんと写真にでている。」


このことは師匠の日記にもある「近頃思うのは、何の差が魅力的な写真とそうでない写真を分けるのだろうということ。中々答えがでない。」とつながる。単純にそれこそが作家性であり独創性だと断じるのは簡単だけど、じゃあ、それは具体的には何なのだろう。本当にそんなに簡単な答えなんだろうか。簡単な答えに飛びつかずに考え続ける師匠に習い、もうすこし考えたいと思う。師匠にとってそれは「若くして旅をせざるものは老いて何を語るや」に連なるものかもしれない。僕の答えは何になるだろうか。

*1:じつはコレクターの原さんからいただいたコメントにも、「旅の写真はどうしても「撮らされてしまう」「目の甘い」「記念写真」になってしまいがち(かなり有名な写真家さんもです!)」と、あった。自分の写真についても「シリーズは面白かったですが、最後が記念写真的なったのが残念」といただいた。セレクトした側からすると最後の写真の狙いもそこに有る訳なので、そうとられてしまったのはそこまで伝えられなかった自分の力不足だろう。

*2:ちなみに言葉はママではない可能性の方が高いので言葉じりは勘弁してください。自分ではちゃんと覚えているつもりだけど、記憶など当てにはならないし。